こんばんは、くらげです。
今回の記事は「消費税史 朝日新聞編 その3」の続きとなります。
ところで、昨日(2019年10月12日)の台風19号は凄まじかったですね!
私の住んでいる東京北区でも、河川氾濫や土砂崩れの恐れがあるということで、避難勧告が出され、何度も何度も携帯の防災アラームが鳴り響きました。こんなことは、私の人生で初めてでした。
といっても、私の人生なんて20年と少し。長い長い地球の歴史を振り返れば、この程度の台風は日常茶飯事なのでしょう。
それでも、私たちは生きていくために自然の猛威(災害)に立ち向かわなくてはなりません。これは残念ながら宿命的なことです。
気候変動によって、台風が徐々に凶悪化しているのはもはや歴然です。私たちはあらゆる”知恵”と、そして”お金”を絞って、気候変動と自然災害に備えなくてはなりませんが…。
さて、本題である朝日新聞の社説分析を始めましょう。
前回は海部政権の発足から1989年年末までを扱いました。
よって、今回は1990年の年初めからとなります。
朝日新聞社説
1990年2月12日
朝日新聞社説『消費税論議を拡散させるな』(1990年2月12日)から引用
もう一度、税制改革の根本に立ち返って考えてみよう。われわれは、将来の福祉財源として、消費に広く薄く課税する大型間接税タイプの税の必要性を否定しているのではない。しかし、自民党の公約違反、単独強行採決という手段で導入した現行消費税は、民主主義を貫いてゆくうえからもこのまま認めるわけにはいかないことを主張してきた。
国民のなかには、すでに消費税が実施されている現実から「もう消費税論議は結構だ」という意見もあろう。しかし、現行消費税には消費者が納めても一部が国庫に入らぬという制度上の欠陥がある。こんどの選挙の結果、自民党が過半数を制し、消費税見直し案が民意となれば、それが尊重されなければならないのはもちろんだが、伝票方式への移行や免税点の引き下げ、簡易課税制度の廃止といった宿題が、残されている。
こうした問題点を明らかにしたうえで、有権者が判断しやすいように、存続か廃止かに的を絞った論議を深めなければならないと思う。与野党の公開討論も結構だが、消費税論議をいたずらに拡散させてはなるまい。
衆議院総選挙
昭和の終わりも近づいていた1986年の夏、中曽根政権は参議院選挙と同時に衆議院選挙に打って出て、大勝を収めました。これは「消費税史 昭和編」で、簡単にではありますが触れました。
そしてその時、中曽根首相が「大型間接税は導入しない」と公約してしまったことが、その後の消費税史に大きな禍根を残すことになります。
1986年の衆参ダブル選挙の3年後の1989年には、消費増税直後のタイミングで参議院選挙が行われ、自民党は敗北し、宇野内閣がたった2か月ほどで崩壊してしまったことは既に見てきました。
そして、1990年には衆議院の任期満了も近づき、海部政権はついに解散総選挙に打って出ました。逆に、海部政権とはこの総選挙に勝つために組閣されたようなものでした。
熱気を失う「消費税論争」
さて、消費税から導入されてから約1年、今から考えれば信じがたいことですが、国民の多くは「消費税論争」に関心を失っていました。
そのことは、社説の「国民のなかには、すでに消費税が実施されている現実から「もう消費税論議は結構だ」という意見もあろう。」という記述から読み取れます。
時代はバブル景気の真っ最中、消費税導入も景気にはさしたる影響もありませんでしたから、仕方のなかったことなのかもしれません。
朝日新聞の主張
朝日新聞は、将来の福祉財源として消費税導入には反対せず、制度の”欠陥”を求めています。主張は変わっていません。
1990年2月19日
朝日新聞社説『底流に政治改革望む民意』(1990年)
それにしても、今度の結果を7カ月前の参院選挙で与野党勢力の逆転をもたらした民意とくらべると、随分食い違っているように見える。しかし、野党内部の明暗は今回も参院選挙もほぼ同じである。問題は自民党の復調をどう見るかにある。
第1に指摘すべき理由は、7カ月の時間的経過である。自民党はこの間、海部首相を新しい総裁にすえてイメージを変える一方、消費税、リクルート事件、農産物自由化の争点3点セットのほとぼりを冷ました。その意味で自民党が衆院の解散を引き延ばしたことは、成功だったといわねばならない。
もう1つ大きな理由がある。衆院と参院で選挙の仕組みが大きく異なることだ。両院を比較すると、与野党伯仲現象が参院に先に表れたように、参院の方が民意の変化をはっきり映し出す傾向がある。これに対して、衆院選挙は当選者が複数のうえ選挙区が小さく、同じ党同士の争いも多いため民意の変化が議席の変化につながりにくい。
総選挙の結果
総選挙は”予想通り”自民党の勝利となりました。約半年前の参議院選挙とは正反対の結果です。
朝日新聞は、このように衆参の選挙で自民党の勝敗がわかれた理由を、「時間的経過」と「選挙制度の違い」という2点にあると指摘しています。
捻じれた民意
選挙結果の”捻じれ現象”について、朝日が指摘する2点、特に「時間的経過」は無視しがたい影響があったと思われます。
しかし、2019年現在から振り返れば、1990年とはソ連崩壊の直前という時代の転換点であり、好調な景気を維持し続けると思われていた国内政治よりも、秩序が大きく変動していく国際政治の方に国民の関心が向いていたのではないか、と考えられます。
結果的に、衆参のねじれ状態を続行させたこの総選挙の結果は、消費税の「廃止」でもなく「改善」でもなく、消費税の制度的欠陥を放置したまま温存、という最悪の選択へとつながりました。
与党にとっても、野党にとっても、妥協によって消費税問題を解決に導くことよりも、問題を放置して選挙の争点として取り上げ続けることが有利に働くためと考えられます。
政治に長期的な視点がなくなり、短期的な政局に振り回され続ける「平成政治」の始まりとして象徴的な選挙結果だと思えてなりません。
1990年3月9日
朝日新聞社説『国民負担率の中身が問題だ』(1990年3月9日)から引用
高齢化が進んで社会保障費が増える以上、国民負担率がだんだんに上がることは避けられない。ただ79年度に30%を超し、その後の10年間で約40%に上昇している。この勢いがそのまま続くわけではないにしても、2020年のはるか以前に50%を超える可能性を否定しきれまい。
いわゆる「高福祉・高負担」の是非について十分に詰めないまま負担を引き上げるのでなく、必要な福祉の内容や負担のあり方についての議論を、国会などの場を通じておこない、国民の理解を深めることが先決だ。
いまの国民負担率の構成比は、租税7対社会保障負担3の割合となっている。今後は、受益と負担の関係が明確な社会保障負担に重点をおくべきだというのが、新行革審の路線だが、消費税を福祉目的税にするという自民党内の意見もある。活発な論議を展開してもらいたい。
税と社会保障の国民負担率
国民負担率とは、国民の所得に対する、税金と社会保障保険料の合計の割合のことです。
朝日新聞の言う通り、少子高齢化が進む中で国民負担率が上がっていくというのは避けられないことです。
もっとも、2019年時点の国民負担率は42.8%であり(財務省HPより)、朝日の予想よりも現状は絶望的ではありません。
社会保障と消費税
引用記事で、国民負担率よりも重要なことは、「消費税を福祉目的税にする」などの社会保障と消費税を一体の問題として扱おうとする姿勢です。
「歪められた消費税議論」でも解説したように「受益と負担の関係が明確な社会保障に重点を置くべきだ」というのが、本来の筋です。
社説からは、当時はまだこのような本筋の主張が主流だったことが読み取れる一方、筋を外れた主張も自民党内で出始めていたことが分かります。
1990年6月23日
朝日新聞社説『欠陥消費税をどうするのか』(1990年6月23日)から引用
かねて主張しているように、簡易課税制度に加えて、年間売上高3000万円以下という高すぎる免税点、税額をならすための特例措置である限界控除制度の「3点セット」の是正こそが、優先されなければならない。
「どんぶり勘定」を許す帳簿方式も、税額票を添付する伝票方式に改めなければならない。国際的に通用するルールに従うことが、あらゆる面で求められている。
自民党の見直し案は、いかに総選挙のためであったとはいえ、こうした根本的な改革にまったく手をつけていない点で重大な欠点を持っている。できるだけ国民の納得を得やすいものとしてゆくには、税金を払う消費者の立場をも十分に尊重した、新たな仕組みを再構築する必要があろう。
”旬”を過ぎた消費税議論
ここまで、消費税に関する社説はほとんど毎日のように書かれ、私が引用したものだけでも一か月おきにはありましたが、この時期から段々と消費税関連の社説自体が少なくなっていきます。露骨に国民の関心が無くなったことを示しています。
ところで、消費税の制度的欠陥を指摘している朝日新聞の主張は一貫しています。
1990年8月9日
朝日新聞社説『説得力欠く消費税「定着」』
2月の総選挙で自民党が過半数を維持したことから、消費税はすでに国民の信任を得ているという見方がある。しかし、総選挙の時の個々の候補者の対応ぶりや、総選挙直後の世論調査などの結果からすると、そう言い切ってしまうのは早計ではないか。
われわれは、これまでも主張してきたように、将来の福祉財源として大型間接税のような仕組みが必要であることは否定しない。しかし、現行の消費税には欠陥が多すぎる。
消費税の定着
選挙で自民党が勝ったことよりも、新聞が消費税問題を取り上げなくなってきたことの方が、消費税が定着したことを示していると、私は思います。
1990年11月23日
朝日新聞社説『消費税協議はこれでいいのか』(1990年11月23日)から引用
消費税問題をめぐる各党の改革案が、ようやく出そろった。
現行の消費税には、消費者が納めても国庫に入らぬ部分があることをはじめ、いろんな欠陥がある。しかも、すでに導入されてしまったため、早急に直さないと、欠陥消費税が日々そのまま実施されていくことになる。
それにもかかわらず、与野党を問わず、各党の取り組み方はあまりにも遅い。共産党の廃止論を含めて改革案が出たといっても、切迫感が見られないのは、まことに遺憾というほかはない。
「税制問題等に関する両院合同協議会」が発足したのは6月だった。5カ月たって、ようやく本格的な消費税論議を始める舞台は整った。が、来年度からの改正に持ち込める部分は極めて少ないとの観測が、早くも出ている。こんなことでいいのだろうか。
(中略)
われわれは、将来の福祉財源として広く薄く課税する大型間接税のような仕組みが必要であることは否定しない。しかし、そのためには、現行消費税ではなく、「福祉目的税」として明確にするなど、名称も含めた抜本的な出直しが必要なのである。
遅延する消費税論議
国民の関心が無くなったことに加え、問題を放置した方が与野党にとって有利だということが、消費税論議をどんどんと遅延させていきます。
福祉目的税
バカげています。
1990年12月31日
朝日新聞社説『財政民主主義をもっと進めよう』(1990年12月31日)
政府は、すでに発行した国債の残高が今年度末で165兆円にも達していること、来年度予算に占める国債費の割合が22.5%と過去最高に膨らんで他の政策経費を圧迫している現実をもっとPRしなければならぬ。
国民が財政の真の姿を知ることは、財政民主主義のうえから必要不可欠だ。財政の実態がわかっていれば、財源や採算を無視した整備新幹線の建設が運賃の値上げにつながり、選挙対策にもならぬことが理解される。
予算関連資料も工夫がこらされるようになったが、もっとわかりやすい情報提供に心掛けてほしい。財政投融資計画の発表文書には大蔵省理財局の「連絡・問い合わせ先」が明記されていたことを評価したい
財政民主主義
「国民が財政の真の姿を知ることは、財政民主主義のうえから必要不可欠」なことは間違いありませんが、新聞が”財政の真の姿”を歪めて報道していることの方がもっと重大です。
”財政の真の姿”が分かっていれば、「消費税の福祉目的税化」などの議論は出るはずもなかったのです。
ところで、最近(2019年)では、「財政均衡主義」を憲法に明記すべきだ…などの財政民主主義を完全に無視した議論が出ています。卒論には関係ないので特に調べたわけではありませんが、朝日もそのような議論の先頭に立っているように思います。
朝日が”財政民主主義”を唱えている時代もあったのですね…。
まとめ
今回は1990年の朝日新聞社説を見てきました。
1990年には、バルト三国の独立や、イラクのクウェート侵攻など、1991年の激動の前兆が始まっていました。
そのような時代の変動を背景として、消費税問題は軽視されていったことが分かりました。
朝日新聞の消費税に対する立場は
「将来の福祉財源として導入は認めるが、欠陥は是正すべき」
ということで、変化は見られませんでした。
今回の記事では、朝日新聞の立場よりも、国民の問題意識の低下が注目すべき点です。
何事も、時間が経てば慣れていきますし、忘れていきますし、何よりも、しつこく問題にし続けると「バカ扱い」されかねない風潮があります。
消費税の導入自体が失敗だったとまでは言いませんが、「飼い慣らされて問題を問題とも思わなくなってしまった」というその態度は、何事においても反省して教訓にすべき事例だと考えます。