飛鳥山 News blog

ニュースの深堀をしています

消費税史 昭和編

こんばんは。くらげです。

先ほど初めての投稿をしたばかりですが、眠気もしないのでもう一つ記事を書くことにします。

主な参考文献は『戦後ニッポン 総理の決断 1945‐今』(池上彰、2015年)です。

引用部分は前回に引き続き『「消費増税」は嘘ばかり』(高橋洋一、2019年)です。

 

テーマは消費税導入に至る経緯です

 

消費税導入の経緯・昭和編

私の卒論の研究範囲はあくまで平成時代なので、昭和の範囲での出来事は簡単に流します。

赤字国債の発行

財政法第4条では原則として国債の発行が禁止されています。原則として、というのは例外的に建設国債の発行は認められているからです。

現在では、この財政法の規定自体に批判の主張もあり、赤字国債の発行は常態化していますが、今でも赤字国債の発行には毎年特例法が制定されています。

 

1965年(昭和41年)、佐藤内閣の下で戦後初めての赤字国債が発行されました。詳しい経緯は割愛。そこからしばらくは赤字国債の発行はありません。

 

大平内閣

1971年(昭和46年)、アメリカのニクソン大統領は金とドルの交換を停止しました。いわゆるニクソンショックですが、ここからじわじわと為替が円高へ進んでいきます。

また、1973年(昭和48年)、第一次オイルショックが発生。

このような状況を背景に、インフレ率は高騰。「狂乱物価」と呼ばれる状況に至ります。

景気は悪くなる一方で、物価は上がり続けるというスタグフレーション状態に陥り、このあたりから従来の「ケインズ政策」から「新自由主義政策」へと経済学の潮流も変わり始めます。このあたりのことは、いつかまとめて記事にしたいです。

 

そして1975年(昭和50年)から赤字国債の発行が再び始まりました。

このような状態に危機感を持っていたのが大平正芳です。

大平は1979年(昭和54年)の臨時国会において一般消費税の導入にふれ、消費税の導入を争点に解散総選挙に打って出ましたが、自民党内の猛反発により選挙中に消費税導入を公約から撤回しました。それでも、自民党過半数割れとなり、選挙に敗北しました。

平氏は大蔵省出身の政治家であり、現代の感覚からすれば”お察し”ですが、そうではないと高橋洋一は指摘しています。

 

「(消費税導入について)優れた税制を導入するために、国民の反発があっても尽力された立派な方という印象を持っています。志半ばで急死されたのは、本当に気の毒だと思いました」(カッコ内は引用者補足)(p177)

 1980年(昭和55年)の戦後初の衆参同時選挙の最中、大平首相は急逝しました。

 

中曽根内閣

大平首相の失敗の影響で、その後しばらくは「増税なき財政再建」が進められます。

具体的には行政改革であり、中曽根内閣では「国鉄」「日本専売公社」「電電公社」の三社民営化が行われ、それぞれ「JR各社」「JT」「NTTグループ」へと民営化されました。

1987年(昭和62年)中曽根はJRの民営化を実現した後、最後の仕事として消費税の導入を目指しますが、前年の総選挙において「大型間接税は導入しない」と公約していたため、猛反発を受けます。中曽根は竹下登を次期首相に指名し、退任しました。

 

竹下内閣

竹下内閣は発足直後から税制改革を最大の課題としており、消費税の導入を目指していましたが、野党からは公約違反であることやリクルート事件で激しい追及を受け、最終的には委員会において消費税等税制改革法案を強行採決で通し、法案を成立させました。1988年(昭和63年)11月10日のことでした。

 

1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇崩御され、同日、新元号「平成」が発表されます。

ここからが、論文の本題ですが、今日はもう疲れた。

まとめ

昭和における消費税導入の試みは失敗の連続でした。前回の記事で示したように、消費税は他の税にはないメリットもあります。また、現在のように慢性的なデフレ状況ではなかったのですから、たとえ消費増税があったとしてもさほど影響はなかったかもしれません。

とにかく、消費増税の試みは本当に昭和の最後に法律が成立し、実際には平成元年に増税が実施されました。先の事ですが、最初の消費増税バブル経済のおかげもあって、実際に経済にはそれほど影響は出ませんでした。

しかし、この先、消費税についてあまり良い話がないことはあらかじめ予告しておきます。

 

それでは。