飛鳥山 News blog

ニュースの深堀をしています

イスラエル・ガザ戦争

 

記事の要約

ガザ戦争が始まってから4か月ほど経とうとしているが、一向に停戦の道筋が見えない。そもそもなぜパレスチナ問題がこじれているのか、また、日本が果たせる役割はあるのか?解説する。

現在の状況

2023年10月7日に、イスラム武装組織ハマスによる奇襲攻撃から始まった、イスラエル・ガザ戦争は本日2024年1月27日時点で4か月に及ぼうとしているが、一向に収まる気配がない。BBCによると、この戦争によって、累計25000人以上のパレスチナ人が亡くなった。

ハマスの奇襲攻撃から始まったこの戦争は、当初においてはイスラエルに国際的な同情が集まったが、イスラエル軍による民間人も巻き添えにしたハマスに対する報復攻撃により、パレスチナガザ地区での死者数は増え続け、現時点においては、逆にイスラエルに対して自制を求める国際世論が高まっている。

そのような国際世論の高まりを受け、イスラエルを一貫して支持してきたアメリカ、バイデン大統領は1月20日イスラエル首相のネタニヤフ氏と電話首脳会談を行った。首脳会談において、バイデン大統領は、パレスチナ問題は「2国家解決」が可能だと強調する一方、ネタニヤフ首相は「2国家解決」は不可能であることを主張した。

イスラエルハマスの交渉による早期休戦を望んでいた国際社会は、イスラエルの強硬な姿勢に失望している。

 

パレスチナ問題の背景

パレスチナ問題の発端として頻繁に語られることは、いわゆるイギリスの「三枚舌外交」である。知っている読者もいると思うが、おさらいする。
イギリスは第一次世界大戦中、ドイツの同盟国であったオスマン帝国と戦うため、1915年フサイン・マクマホン協定をアラブ人との間に結び、その後、1917年バルフォア宣言を表明した。しかし、一方でイギリスは1917年フランス、ロシアとの間でサイクス・ピコ協定を結んでおり、当時オスマン帝国が領有していた、現在のイラクからシリア、パレスチナ地方にかけての地域について、戦後の西洋列強による分割を取り決めていた。これら3つの協定は互いが互いに矛盾しており、現在のパレスチナ問題の発端になったと解説されることが多い。

もちろん、イギリスの「三枚舌外交」がパレスチナ問題の発端になっていることは事実であるが、問題はそれよりも相当根深い。だからこそ、パレスチナ問題が解決不能になっている一因ではあるのだが。

 

問題解決が難しいわけ

問題が解決不能になっている原因について、私は2つほど挙げることができる。

 

第一にパレスチナユダヤ人が神から与えられた土地であるということである。ここでいう神とは、ユダヤ教の神ヤハヴェのことであるが、キリスト教のイエスイスラム教のアッラーと本質的には同一の存在である。ここで、旧約聖書を読んだことがない人のために一つの例として創世記の17章6節から8節を引用する。

 

『17:6わたしはあなたに多くの子孫を得させ、国々の民をあなたから起そう。また、王たちもあなたから出るであろう。 17:7わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなたと後の子孫との神となるであろう。 17:8わたしはあなたと後の子孫とにあなたの宿っているこの地、すなわちカナンの全地を永久の所有として与える。そしてわたしは彼らの神となるであろう」。』

これは神がアブラハムに対して発言した内容だが、今風に要約すれば、「パレスチナの土地はユダヤ人に“永久に”与える」ということなのである。このような記述は旧約聖書のあちこちに見られる。このような記述があることから、ユダヤ教徒は敬虔であればあるほどこれを信じ、パレスチナの土地は全てユダヤ人の土地であると主張することになるのである。

現在のイスラエル、ネタニヤフ政権は政権基盤が宗教右派にあることもあり、少なからず上記のことを意識しているとみられ、イスラエルが今回の戦争で強硬姿勢をとっている一因になっている。

 

第二に、土地をユダヤ人に奪われたパレスチナ人の心情である。

ユダヤ人にとっては、パレスチナは神から与えられた土地であり、2000年ほど昔のことであっても所有権はユダヤ人にあるという論理であるが、パレスチナ人にとってパレスチナは先祖伝来の土地であり、2000年前の出来事など知ったことではないという気持ちがある。また、パレスチナをめぐるイスラエルパレスチナの紛争の過程で、親族をイスラエルに殺されたと考えるパレスチナ人も大勢おり、イスラエルに対する復讐の気持ちがイスラム過激派組織の原動力になっていることも否めないだろう。

現在進行中のガザ戦争でも、多くの人々が親族をイスラエル軍に殺害されており、復讐心が芽生えても全くおかしくないことは十分理解できることである。

 

日本の役割

これまでのパレスチナ問題のいきさつにおいて、日本が一切関与していないことは注目に値する。アメリカを含めた西洋諸国はパレスチナ問題に多かれ少なかれ関与しており、イスラエルパレスチナの間で中立の立場から問題の仲介を図ることが難しいのである。

では、日本は双方にとって中立な立場で問題を解決することができるか、私は「現時点では難しい」と考えている。
戦後の国際社会において、大義のない戦争は国際世論の非難の的になってきた。多くの戦争を行っているアメリカも、開戦に当たっては何かしら大義を作り、国際社会の了解を得てから行動を起こしてきた。私は、この傾向は続き、戦争に対する国際世論の目はより一層厳しくなっていくだろうと、最近まで考えていた。しかし、2021年ロシア・ウクライナ戦争において、ロシアは国際世論の批判を全く無視したまま戦争を継続している。このロシアの行動は、最終的にはうまくいかないと思われるものの、それをイスラエルも模倣しているように思えてならない。イスラエルもまた、国際世論の批判を無視して軍事行動を続けるであろう。

このような現状において、日本が果たせる役割はほとんどないと思われる。あえて、役割を探すというのであれば、国際社会の声が、戦争に対する抑止力になるよう、各国に働きかけることではないだろうか。

 

飛鳥山はるか 

 

参考

https://www.bbc.com/japanese/68045840

https://www.bbc.com/japanese/68045812

菅政権に岩盤支持層はあるのか?

いったいどれだけの問題が降りかかっているのか、もはや数えることも諦めましたが、菅政権は満身創痍。内閣支持率も1月におおむね40%ほどとなっていました。

ところで、時は戻って安倍政権時代。内閣支持率はどんなもんだったかというと、30~40%ほどの"岩盤支持層"がいて、どんなことをやってもそれを下回ることはありませんでした。
自民党支持層のなかに、強固な安倍政権支持があったんですね。

ですから、それを引き継いだ菅政権には"岩盤支持層"があるのか?非常に気になるところです。
支持率調査は色々あるので、みらい選挙プロジェクトのツイートを引用します。

2月にはいってから、内閣支持率の下落に歯止めがかかっているように見えます。もちろん、まだ調査結果を公表していない新聞社がありますから、現時点での見方ですが、これは岩盤支持層がありそうだぞ?という気がします。
つまりは、内閣支持率は40%前後からこれ以上は落ちそうにないように思われるのです。

私の菅政権に対する評価は端的に言って"悪い"ので、これはあまりよい傾向と思えません。
まあ、支持している人にとっては、胸を撫で下ろすところでしょうが。

更新再開と卒論の結論

卒論のまとめ記事として書いていたはてなブログは更新をやめていましたが、再開します。

卒論は出来上がりました。もう1年以上前のことですが。
結論から言うと、消費税10%は必要だということです。大きな理由は防衛費にあります。地方交付税交付金と防衛費を合わせると、だいたい10%程度になるから、というそんな理由です。
ただ、一時的な引き下げ等に反対するわけではありません。私はあくまでも経済においては左派的です。

バブルなんじゃないか?

先日、ニコニコブロマガで株はバブルではないと言っておきながら、突然転向するのもあれなんですが、それはおかしいだろ…という"モノ"の値上がりが起こっているようなのです。

株というのは適正価格をつけるのが難しいものです。将来の成長を見越しているのだ!と言われてしまえば、本当にそうかもしれないからです。
しかし"モノ"は違います。ここで言うモノとは、株のように配当がない、つまりそれ自体が付加価値を産み出さないもの全てです。

例えば、暗号資産。仮想通貨というものは、そもそも使うためにあるモノ、商品の売買を世界中で仮想通貨だけで出来るようにする、そういうビジョンをもって生まれたハズです。
しかし、いまや暗号資産は交換するモノではなく、投機の対象になって、刻一刻と価値が変動するものになっています。
こんな、価値がすぐに変わってしまうものは通貨としてふさわしくない。
つまり、今の仮想通貨バブルの実態というのは、将来性云々など関係なく、価値が上がるから、儲けられるから買う、という状態で、完全にバンドワゴンです。

他にも例はあります。たとえば、スニーカー、ありえないような値段がついているそうですね。他にはロレックス、みるみる価格が上がっているそうです。

一つバブルが弾けると、連鎖的にバブルが弾ける恐れがあります。株とて例外ではないでしょう。


さて、人類は世界恐慌を経験して以来、なにか恐慌が起こったとしてもすぐに経済を建て直せるように金融財政政策を洗練させてきました。
株価が下がったとして、すぐに金融緩和と財政出動を行えば、問題はない。
私は人類の知恵を信じていますが、このような場当たり的対処は、世界恐慌よりも凶悪な何かを産み出してしまうのではないかという、一抹の不安を覚えます。
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更新終了

おはようございます、くらげです。

さて、突然ではありますが、ブログの更新は今後する予定はない、とお知らせします。

当初、卒業論文の叩き台としてブログを活用できないかと考えていましたが、その役目を十分に果たし、卒論も完成の目処がついたことを報告いたします。

卒論で私が取り上げたかった問題について、ブログでは少しも取り上げられなかったのは、残念ではありますが、面倒ですので、記事には致しません。
興味がある方は、私に直接質問してくだされば、十分な時間が必要ですが、口頭でお答えします。

さて、税の応能負担と応益負担について、ご質問がありました。
ブログについては雰囲気が伝わればよいと思い、適当な記述となっていました。税の基本は応能負担と考えます。訂正します。
ただし、私のいう「基礎的行政サービス」については、納税者の納得感、財源の安定性という観点から見て、応益負担、つまり消費税が財源としてふさわしいと考えます。詳しくは高橋洋一先生の本に書かれています。
また、社会保障における、特に保険制度部分についても、税金ではありませんが、応益負担的にならざるを得ないと考えます。


適切な消費税率はいくらなのか…ということについて、試算の仕方は様々あるでしょうし、私個人ではあまり詳しくは試算できませんが、当方の大雑把な試算では、2018年度時点では約9.36%ほどではなかったかと考えます。
その点、2019年の消費増税はある意味仕方のなかったことだったな…と、これまでの主張を撤回いたします。
今後、消費税率はまだまだ上がる可能性がありますが、私はそれが、基礎的行政サービスに必要なのであれば反対しませんし、必要以上なのであれば反対いたします。


さて、ブログの更新は以上となります。卒論の作成はとても勉強になりました。読者の皆様に感謝申し上げます。それでは。

平成政治の総括

くらげです。

 

受験絡みで色々と動きがあり、ほぼ方針が固まりました。

この卒論も水曜日(10月16日)には、ブログ記事のままではありますが、担当教授にお見せして、内容をより詰めてけると思います。

 

さて、本題に入ります。

卒論本論の中核である「消費税史 朝日新聞編」がまだ「その4」までしか行っておらず、時代にすると1989年から1990年の2年間ということで、平成全体を語るにはまだまだ足らないことも多いですが、まあ、大きな全体像は見えていますし、たぶん、変わらないと思います。

そこで、ものすごく早いですが、「平成政治の総括」を行いたいと思います。

 

平成政治の総括

こちらの図をご覧ください。

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私が「消費増税スパイラル」と名付けたこの現象は、すでに指摘している方もいらっしゃるかもしれませんが、このような図にしたのは私が初だと自負しております。

 

さてぱっと見て、分からない人や異論がある人もいるかと思いますので、簡単に「消費税史」を振り返ってみましょう。

 

1週目のスパイラル

消費税導入

元号が昭和から平成へ切り替わったのは1989年1月のことで、その3か月後の4月には消費税が導入されました。まさに、平成は消費税とともに始まったわけです。

消費税をめぐって、喧々諤々の論争が行われていたことは既に「消費税史 朝日新聞編」でも触れたところです。

バブル景気の最中にあって、導入された3%の消費税はマクロ経済全体への影響は軽微でした。しかし、それよりも深刻な問題が発生しつつあったのです。

 

バブル崩壊

バブルが弾けたのがいつなのか、厳密には分かりませんが、現在(2019年)に至るまで日経平均最高値記録である、1989年年末の大納会終値38,915.87円は株価バブルの頂点でした。

その後、金利の引き上げや土地規制などが入り、地価バブルも崩壊し、経済は本格的な不況に突入します、1991年頃からです。

 

景気対策としての公共事業

バブル崩壊による不景気から脱却するため、政府は主に公共投資を増大させました。私は、そのことを批判するつもりは毛頭ありませんが、メディアは散々叩きました。

赤字国債の発行により財政赤字も拡大し、「政治改革が必要」という世論はメデイアを中心に広がっていきました。

 

55年体制の崩壊

そして、1993年には細川政権が誕生し、1955年から続いた自民党与党時代はついに終わりました。

しかし、「政治改革」と威勢のいいことは言ってみたものの、政治はもめにもめ、結局「自社さ連立政権」という形で自民党が与党に復帰します。

 

94年消費税法改正

そして、誕生してほとんど間もなく、村山政権は1997年に消費税率を5%へ引き上げることを決定し、関連法を成立させます。

「政治改革」とは、結局消費増税のことだったのでしょうか?

 

2週目のスパイラル

97年消費増税

94年に決まっていた消費増税を決行したのが橋本政権です。

既に決まっていた消費増税とはいえ、96年にはそれを橋本政権も追認して、増税が実施されたわけですから、その責任から逃れられるはずもありません。

 

日本列島総不況

そして、消費増税を直接の原因として、日本経済はどん底に叩き落されました。

一部、アジア通貨危機が原因だ、と言っている人もいるようですが、そんなのはでたらめです。

 

財政赤字の拡大

景気が悪くなれば、税収は減りますし、失業者の増加などで社会保障費が増大します。

当然のことながら政府の財政赤字はさらに拡大し、政治改革の必要性がますます唱えられるようになります。

 

小泉改革

そのような改革機運を背景に2001年に誕生した小泉内閣ですから、当然「聖域なき構造改革」を推進していくことになります。

この小泉改革は、当時は持て囃されたものの、現在(2019年)ではあまり評判のいいものではありません。

ところで、一連の改革の中では、ついに消費増税が行われることはありませんでした。

内閣官房財務省の権力闘争については、当時、竹中大臣の補佐官として内閣官房にいた高橋洋一氏が詳しく語っています。

 

3週目のスパイラル

回避された消費増税

結局、小泉政権では消費増税は行われませんでしたから、その点、「消費増税スパイラル」の図は不正確ですが、大目に見てください。

 

リーマンショック

消費増税は回避されましたが、経済危機はやってきました。

2008年のリーマンショックは、再び日本経済をどん底へと叩き落しました。

 

財政赤字の拡大

危機に直面した当時の麻生政権は、様々な景気対策を行いましたが、裏ではもちろん赤字国債がますます増大し、メディアからはその他さまざまなバッシングを受け、政権は間もなく崩壊しました。

 

民主党政権

今(2019年)では「悪夢の民主党政権」なんて言われていますが、2009年の総選挙で圧勝したのは民主党であり、その民主党に投票したのは日本国民だということを忘れてはなりません。

批判は簡単なので、少しだけ擁護しておくと、とにかく”不幸”な政権でした。

特に2011年の東日本大震災とそれに伴う福島原発事故では菅首相が散々にバッシングされました。しかし、政権担当の経験も浅く、政権基盤も弱体だった当時の菅政権には荷が重すぎました。

 

12年消費税法改正

そして、野田政権は「税と社会保障の一体改革」の総仕上げ(?)として、2014年に8%へ2015年に10%へと消費税率を引き上げることを決定しました。

 

4週目のスパイラル

14年消費増税

時系列的に多少前後しますが、2013年から始まった通称アベノミクスは「デフレからの脱却」を目指し、政策を総動員する…はずでしたが、14年にはすでに決定していた消費増税を実行してしまい、景気を失速させます。

 

景気後退

2013年から始まっていた日銀の「異次元の金融緩和」政策に支えられていたため、どん底とまではいきませんでしたが、2014年以降目に見えて景気は減速しました。

政府は景気後退の事実をかたくなに認めていませんが、もはや”大本営発表”と化しています。

 

緊縮財政

安倍政権は「プライマリーバランス黒字化目標」を掲げ、財政の緊縮を開始しました。

これは、財政赤字の拡大を抑制するための政策です。

 

アベノミクス

すでに2013年から、安倍政権の経済政策と一連の改革は始まっていました。

アベノミクスとは「大胆な金融政策」「機動的な財政出動」「民間投資を喚起する成長戦略」という3つの政策、三本の矢の総称です。

しかし、消費増税後の2014年からは改革が質的に変化し、「成長戦略」ばかりが強調され、そのための規制緩和などの政策が推進されていきました。

 

まとめ

「消費増税スパイラル」の図は、細かな部分では異論もあるでしょうが、平成政治はほとんどこの螺旋状の出来事として説明できると思います。

そして何よりも、この「失敗」と「衰退」のスパイラルは4周もした挙句に、結局そのドツボから脱出できないまま「平成」は終わってしまいました。

 

この悪循環は「デフレスパイラル」とも密接に関連していると思いますが、とにかく”いいこと”がありません。

ですから、早急にこの悪循環から脱出する必要があります。

 

少子高齢化と低成長の時代に、社会保障費の増大は避けられない問題です。そして、その社会保障と消費税を結び付けて考え始めてしまえば、社会保障費の増大と連動して消費税を上げていくというロジックになります。

しかし、平成30年を通して、いい加減に、「このロジックではうまく行かない」ということに気が付くべきではないでしょうか?4回やって駄目だったことを、今後も繰り返す意味があるのでしょうか?

平成政治を総括し、反省すべき教訓は、まさにその点にあると私は考えます。

 

19年消費増税

そして、「令和」の出来事ではありますが2019年には消費税率が10%に引き上げられました。これは「消費増税スパイラル」の5周目の始まりです。

安倍政権は様々な景気対策を打つことで、景気減速を回避しようとしていますが、果たしてどうなる事やら。

 

消費税史 朝日新聞編 その4

こんばんは、くらげです。

 

今回の記事は「消費税史 朝日新聞編 その3」の続きとなります。

 

ところで、昨日(2019年10月12日)の台風19号は凄まじかったですね!

私の住んでいる東京北区でも、河川氾濫や土砂崩れの恐れがあるということで、避難勧告が出され、何度も何度も携帯の防災アラームが鳴り響きました。こんなことは、私の人生で初めてでした。

 

といっても、私の人生なんて20年と少し。長い長い地球の歴史を振り返れば、この程度の台風は日常茶飯事なのでしょう。

それでも、私たちは生きていくために自然の猛威(災害)に立ち向かわなくてはなりません。これは残念ながら宿命的なことです。

気候変動によって、台風が徐々に凶悪化しているのはもはや歴然です。私たちはあらゆる”知恵”と、そして”お金”を絞って、気候変動と自然災害に備えなくてはなりませんが…。

 

さて、本題である朝日新聞の社説分析を始めましょう。

前回は海部政権の発足から1989年年末までを扱いました。

よって、今回は1990年の年初めからとなります。 

朝日新聞社

1990年2月12日

 

朝日新聞社説『消費税論議を拡散させるな』(1990年2月12日)から引用

 

 もう一度、税制改革の根本に立ち返って考えてみよう。われわれは、将来の福祉財源として、消費に広く薄く課税する大型間接税タイプの税の必要性を否定しているのではない。しかし、自民党の公約違反、単独強行採決という手段で導入した現行消費税は、民主主義を貫いてゆくうえからもこのまま認めるわけにはいかないことを主張してきた。

 国民のなかには、すでに消費税が実施されている現実から「もう消費税論議は結構だ」という意見もあろう。しかし、現行消費税には消費者が納めても一部が国庫に入らぬという制度上の欠陥がある。こんどの選挙の結果、自民党過半数を制し、消費税見直し案が民意となれば、それが尊重されなければならないのはもちろんだが、伝票方式への移行や免税点の引き下げ、簡易課税制度の廃止といった宿題が、残されている。

 こうした問題点を明らかにしたうえで、有権者が判断しやすいように、存続か廃止かに的を絞った論議を深めなければならないと思う。与野党の公開討論も結構だが、消費税論議をいたずらに拡散させてはなるまい。

 

衆議院総選挙

昭和の終わりも近づいていた1986年の夏、中曽根政権は参議院選挙と同時に衆議院選挙に打って出て、大勝を収めました。これは「消費税史 昭和編」で、簡単にではありますが触れました。

そしてその時、中曽根首相が「大型間接税は導入しない」と公約してしまったことが、その後の消費税史に大きな禍根を残すことになります。

 

1986年の衆参ダブル選挙の3年後の1989年には、消費増税直後のタイミングで参議院選挙が行われ、自民党は敗北し、宇野内閣がたった2か月ほどで崩壊してしまったことは既に見てきました。

 

そして、1990年には衆議院の任期満了も近づき、海部政権はついに解散総選挙に打って出ました。逆に、海部政権とはこの総選挙に勝つために組閣されたようなものでした。

 

熱気を失う「消費税論争」

さて、消費税から導入されてから約1年、今から考えれば信じがたいことですが、国民の多くは「消費税論争」に関心を失っていました。

そのことは、社説の「国民のなかには、すでに消費税が実施されている現実から「もう消費税論議は結構だ」という意見もあろう。」という記述から読み取れます。

時代はバブル景気の真っ最中、消費税導入も景気にはさしたる影響もありませんでしたから、仕方のなかったことなのかもしれません。

 

朝日新聞の主張

朝日新聞は、将来の福祉財源として消費税導入には反対せず、制度の”欠陥”を求めています。主張は変わっていません。

 

1990年2月19日

 

朝日新聞社説『底流に政治改革望む民意』(1990年)

 それにしても、今度の結果を7カ月前の参院選挙で与野党勢力の逆転をもたらした民意とくらべると、随分食い違っているように見える。しかし、野党内部の明暗は今回も参院選挙もほぼ同じである。問題は自民党の復調をどう見るかにある。

 第1に指摘すべき理由は、7カ月の時間的経過である。自民党はこの間、海部首相を新しい総裁にすえてイメージを変える一方、消費税、リクルート事件、農産物自由化の争点3点セットのほとぼりを冷ました。その意味で自民党衆院の解散を引き延ばしたことは、成功だったといわねばならない。

 もう1つ大きな理由がある。衆院参院で選挙の仕組みが大きく異なることだ。両院を比較すると、与野党伯仲現象が参院に先に表れたように、参院の方が民意の変化をはっきり映し出す傾向がある。これに対して、衆院選挙は当選者が複数のうえ選挙区が小さく、同じ党同士の争いも多いため民意の変化が議席の変化につながりにくい。

 

総選挙の結果 

総選挙は”予想通り”自民党の勝利となりました。約半年前の参議院選挙とは正反対の結果です。

朝日新聞は、このように衆参の選挙で自民党の勝敗がわかれた理由を、「時間的経過」と「選挙制度の違い」という2点にあると指摘しています。

捻じれた民意

選挙結果の”捻じれ現象”について、朝日が指摘する2点、特に「時間的経過」は無視しがたい影響があったと思われます。

しかし、2019年現在から振り返れば、1990年とはソ連崩壊の直前という時代の転換点であり、好調な景気を維持し続けると思われていた国内政治よりも、秩序が大きく変動していく国際政治の方に国民の関心が向いていたのではないか、と考えられます。

 

結果的に、衆参のねじれ状態を続行させたこの総選挙の結果は、消費税の「廃止」でもなく「改善」でもなく、消費税の制度的欠陥を放置したまま温存、という最悪の選択へとつながりました。

与党にとっても、野党にとっても、妥協によって消費税問題を解決に導くことよりも、問題を放置して選挙の争点として取り上げ続けることが有利に働くためと考えられます。

政治に長期的な視点がなくなり、短期的な政局に振り回され続ける「平成政治」の始まりとして象徴的な選挙結果だと思えてなりません。

 

1990年3月9日

 

朝日新聞社説『国民負担率の中身が問題だ』(1990年3月9日)から引用

 

 高齢化が進んで社会保障費が増える以上、国民負担率がだんだんに上がることは避けられない。ただ79年度に30%を超し、その後の10年間で約40%に上昇している。この勢いがそのまま続くわけではないにしても、2020年のはるか以前に50%を超える可能性を否定しきれまい。

 いわゆる「高福祉・高負担」の是非について十分に詰めないまま負担を引き上げるのでなく、必要な福祉の内容や負担のあり方についての議論を、国会などの場を通じておこない、国民の理解を深めることが先決だ。

 いまの国民負担率の構成比は、租税7対社会保障負担3の割合となっている。今後は、受益と負担の関係が明確な社会保障負担に重点をおくべきだというのが、新行革審の路線だが、消費税を福祉目的税にするという自民党内の意見もある。活発な論議を展開してもらいたい。

 

税と社会保障の国民負担率

国民負担率とは、国民の所得に対する、税金と社会保障保険料の合計の割合のことです。

朝日新聞の言う通り、少子高齢化が進む中で国民負担率が上がっていくというのは避けられないことです。

もっとも、2019年時点の国民負担率は42.8%であり(財務省HPより)、朝日の予想よりも現状は絶望的ではありません。

 

社会保障と消費税

 引用記事で、国民負担率よりも重要なことは、「消費税を福祉目的税にする」などの社会保障と消費税を一体の問題として扱おうとする姿勢です。

歪められた消費税議論」でも解説したように「受益と負担の関係が明確な社会保障に重点を置くべきだ」というのが、本来の筋です。

社説からは、当時はまだこのような本筋の主張が主流だったことが読み取れる一方、筋を外れた主張も自民党内で出始めていたことが分かります。

 

1990年6月23日

朝日新聞社説『欠陥消費税をどうするのか』(1990年6月23日)から引用

 

 かねて主張しているように、簡易課税制度に加えて、年間売上高3000万円以下という高すぎる免税点、税額をならすための特例措置である限界控除制度の「3点セット」の是正こそが、優先されなければならない。

 「どんぶり勘定」を許す帳簿方式も、税額票を添付する伝票方式に改めなければならない。国際的に通用するルールに従うことが、あらゆる面で求められている。

 自民党の見直し案は、いかに総選挙のためであったとはいえ、こうした根本的な改革にまったく手をつけていない点で重大な欠点を持っている。できるだけ国民の納得を得やすいものとしてゆくには、税金を払う消費者の立場をも十分に尊重した、新たな仕組みを再構築する必要があろう。

 

”旬”を過ぎた消費税議論

ここまで、消費税に関する社説はほとんど毎日のように書かれ、私が引用したものだけでも一か月おきにはありましたが、この時期から段々と消費税関連の社説自体が少なくなっていきます。露骨に国民の関心が無くなったことを示しています。

ところで、消費税の制度的欠陥を指摘している朝日新聞の主張は一貫しています。

 

1990年8月9日

朝日新聞社説『説得力欠く消費税「定着」』

 

 2月の総選挙で自民党過半数を維持したことから、消費税はすでに国民の信任を得ているという見方がある。しかし、総選挙の時の個々の候補者の対応ぶりや、総選挙直後の世論調査などの結果からすると、そう言い切ってしまうのは早計ではないか。

 われわれは、これまでも主張してきたように、将来の福祉財源として大型間接税のような仕組みが必要であることは否定しない。しかし、現行の消費税には欠陥が多すぎる。

 

消費税の定着 

選挙で自民党が勝ったことよりも、新聞が消費税問題を取り上げなくなってきたことの方が、消費税が定着したことを示していると、私は思います。

 

1990年11月23日

 

朝日新聞社説『消費税協議はこれでいいのか』(1990年11月23日)から引用

 

 消費税問題をめぐる各党の改革案が、ようやく出そろった。

 現行の消費税には、消費者が納めても国庫に入らぬ部分があることをはじめ、いろんな欠陥がある。しかも、すでに導入されてしまったため、早急に直さないと、欠陥消費税が日々そのまま実施されていくことになる。

 それにもかかわらず、与野党を問わず、各党の取り組み方はあまりにも遅い。共産党の廃止論を含めて改革案が出たといっても、切迫感が見られないのは、まことに遺憾というほかはない。

 「税制問題等に関する両院合同協議会」が発足したのは6月だった。5カ月たって、ようやく本格的な消費税論議を始める舞台は整った。が、来年度からの改正に持ち込める部分は極めて少ないとの観測が、早くも出ている。こんなことでいいのだろうか。

(中略)

 われわれは、将来の福祉財源として広く薄く課税する大型間接税のような仕組みが必要であることは否定しない。しかし、そのためには、現行消費税ではなく、「福祉目的税」として明確にするなど、名称も含めた抜本的な出直しが必要なのである。

 

遅延する消費税論議

国民の関心が無くなったことに加え、問題を放置した方が与野党にとって有利だということが、消費税論議をどんどんと遅延させていきます。

 

福祉目的税

バカげています。

 

1990年12月31日

 

朝日新聞社説『財政民主主義をもっと進めよう』(1990年12月31日)

 

政府は、すでに発行した国債の残高が今年度末で165兆円にも達していること、来年度予算に占める国債費の割合が22.5%と過去最高に膨らんで他の政策経費を圧迫している現実をもっとPRしなければならぬ。

 国民が財政の真の姿を知ることは、財政民主主義のうえから必要不可欠だ。財政の実態がわかっていれば、財源や採算を無視した整備新幹線の建設が運賃の値上げにつながり、選挙対策にもならぬことが理解される。

 予算関連資料も工夫がこらされるようになったが、もっとわかりやすい情報提供に心掛けてほしい。財政投融資計画の発表文書には大蔵省理財局の「連絡・問い合わせ先」が明記されていたことを評価したい

 

財政民主主義

「国民が財政の真の姿を知ることは、財政民主主義のうえから必要不可欠」なことは間違いありませんが、新聞が”財政の真の姿”を歪めて報道していることの方がもっと重大です。

”財政の真の姿”が分かっていれば、「消費税の福祉目的税化」などの議論は出るはずもなかったのです。

 

ところで、最近(2019年)では、「財政均衡主義」を憲法に明記すべきだ…などの財政民主主義を完全に無視した議論が出ています。卒論には関係ないので特に調べたわけではありませんが、朝日もそのような議論の先頭に立っているように思います。

朝日が”財政民主主義”を唱えている時代もあったのですね…。

 

まとめ

今回は1990年の朝日新聞社説を見てきました。

1990年には、バルト三国の独立や、イラククウェート侵攻など、1991年の激動の前兆が始まっていました。

そのような時代の変動を背景として、消費税問題は軽視されていったことが分かりました。

 

朝日新聞の消費税に対する立場は

「将来の福祉財源として導入は認めるが、欠陥は是正すべき」

ということで、変化は見られませんでした。

 

今回の記事では、朝日新聞の立場よりも、国民の問題意識の低下が注目すべき点です。

何事も、時間が経てば慣れていきますし、忘れていきますし、何よりも、しつこく問題にし続けると「バカ扱い」されかねない風潮があります。

消費税の導入自体が失敗だったとまでは言いませんが、「飼い慣らされて問題を問題とも思わなくなってしまった」というその態度は、何事においても反省して教訓にすべき事例だと考えます。